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「僕は、具象彫刻家」 松田光司氏スペシャルインタビューVol.3

松田光司

彫刻家

1965年 愛知県春日井市に生まれる。具象彫刻家。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1989年 サロン・ド・プランタン賞(東京藝術大学、卒業制作展)、新作家賞(東京都美術館、新制作展)を受賞。2001年 ルーヴル美術館提携NPO(特定非営利活動法人)グラン・ルーヴル・オ・ジャポン理事就任(2008年より「日仏子供ヴィジョン」に名称変更)。2014年 箱根駅伝90回記念モニュメント「絆」(読売新聞東京本社・東京都千代田区大手町)をはじめ、全国40ヶ所以上に作品が設置、収蔵されている。

藝大時代~最初の仕事

Vol.2では美術系の予備校に入るまでのお話を伺いましたので、今回は藝大に進学されてからのことを聞かせていただきたいと思います。どんな学生だったんですか。

上石神井にあった寮に住んでいたんですが、満員電車が嫌で、上野まで自転車で通うようになりました。月曜日から土曜日まで毎日、片道18キロをママチャリで、往復ね。

結構な運動だと思いますが......藝大ではどんな授業を受けていたんですか。

僕がいた頃の話だけど、1年生は9時から12時は彫刻に費やす必修授業で、午後からが学科。2年生になると学科より彫刻の時間が増えて、3年生になると、午後はほぼ彫刻の時間。4年生は朝から晩まで彫刻だけ。

彫刻に打ち込める環境だったんですね。

でも僕には足りなかったですね。ずっと彫刻をしていたくても、藝大の彫刻棟は、管理の問題で18時には閉まってしまうから。怪我とか事故があったら大変だという理由で。それで、僕は彫刻ができる時間を増やしたんです。

と言いますと?

入学してしばらくすると、朝は9時から授業だけど、助手さんはどうも8時くらいに来ているということが、わかった。それで8時に行くようにした。しばらく経つと、鍵は、守衛さんに学生証を見せれば借りられるらしい、ということがわかった。そこで守衛さんに聞いたら、「それはいいけど......」と。で、7時30分に行くようになり、それが7時になり、6時になった。やがて5時50分に空いていることも確認できたので、5時30分に行くようになったら、守衛さんより早くなって、「うわあ、来てるわ」となった。でも「さすがにこの時間に正門は開けられないから」ということで、正門の隣にある小さな扉から入れてもらうようになって、それ以降、朝の4時30分に家を出て、5時30分に着くようにしました。週6日、ひとりで制作できる時間が作れたのは本当にラッキーだと思いましたよね。

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それは......藝大の中でも有名人だったでしょうね(笑)。朝の4時30分に寮を出て、5時30分に着くという生活を、どれくらい続けられたんですか。

大学1年生の後半から、卒業までですね。

もう大学在学中に「彫刻一筋で行こう!」と決めていたんですね。

2年生の頃はまだ「何かアート系に関わる仕事に携わるのかな」くらいの気持ちでいたけど、3年生の後半には「彫刻家として生きていこう」と思っていました。それ以降は全く迷っていないですね。結局、クリエイターとして生きていくか、会社員になるか、って悩む程度だったらこっち側に来られない。本当にそれをやりたい人というのは、気付いたらこっち側にいるんですよ。天秤にかけられる程度じゃないの。

迷わなくなった具体的な理由ってありますか。

大学院の時には、画商さんとかに作品が売れ出したんですよ。学部の頃に作った作品も少しずつ売れて、それから依頼仕事も来るようになりました。初めて「これを作ってください」と指名されたのは、江ノ島のお寺さん(高野山真言宗最福寺関東別院)の不動明王です。3m20の巨大なものが、今もご本尊として安置されていますよ。ただ、仏像って、仏師が作るもので、彫像とはジャンルが違うんです。でも画商さんの紹介で、やらせてもらうことになって......研究しましたよね。お寺回って、本も読んで。まだ大学出たての26歳の僕に、なんでそんな畑違いの仕事が来たのかって不思議でしたけど、ご縁としか思えないですよね。とにかく、彫刻家としていいスタートでした。

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それで仏師の道に、ということにはならなかったんですね。

評価もされたんですけど、それ以降は仏像を作ることはなく、具象彫刻を作っています。この十数年は、レリーフ(浮き彫り)の仕事もいただいているので、粘土の立体物だけ、というわけじゃないんだけど。

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「レリーフ」のお仕事の内容を教えていただけますか。

野球界に貢献して殿堂入りされた方々をレリーフにして、東京ドームにある野球殿堂博物館に飾るんです。昭和30年代から始まっていて、僕の前に、初代、2代目、3代目がいます。60歳を超えた、地位や名誉があるような人が受ける仕事なんですが、巡り巡って、僕は36歳の時からずっとやらせていただいています。現時点で、56枚作りました。3代目までに作られたものと合わせると180枚ちょっとあるので、すでに4分の1以上、僕が作ったことになりますね。

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帽子のツバが飛び出ていたり、人物の鼻も飛び出ているように見えるんですが、実際の高さとは違うわけですよね?

簡単に言うと、立体のものを平面にするのがレリーフ。でも平面でありながら、少し立体。レリーフは、立体を理解していた人でないと、うまく作れません。立体をわかっているからこそ、レリーフ制作に必要なうまい嘘がつける。たとえば帽子のツバも、浮き彫りをしてどうやったら立体的に見えるのか、という視点で考える。レリーフ制作の面白さって、うまい嘘をつくことだと思っています。

立体作品をたくさん制作されてきたからこそ、レリーフを制作できるんですね。ちなみに、作品と依頼されたお仕事で、なにか異なる点などがあれば、教えていただけますか。

僕は、「これは作品である」とか「これは依頼仕事である」という区別はしないんです。巨匠と言われているレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロも、ほぼ依頼仕事をやっていて、制約だらけの中で作っていたわけですよね。でも、ものすごい芸術作品として、後世の人から見られているわけじゃないですか。だから、僕も「あれは頼まれ仕事だったから、自分の制作物として最良のものができませんでした」じゃ言い訳にならない。制約があろうと何だろうと。

常に、ご自身が納得できる、最良のものを作られるんですね。

考えてみれば、どんなものを作るにしても、制約だらけなんですよ。地球上で作らないといけないのも制約だし、呼吸しながら作らないといけないのも制約だし、そういう条件なんだ、というだけの話で。