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「僕は、具象彫刻家」松田光司氏スペシャルインタビューVol.2

松田光司

彫刻家

1965年 愛知県春日井市に生まれる。具象彫刻家。東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。1989年 サロン・ド・プランタン賞(東京藝術大学、卒業制作展)、新作家賞(東京都美術館、新制作展)を受賞。2001年 ルーヴル美術館提携NPO(特定非営利活動法人)グラン・ルーヴル・オ・ジャポン理事就任(2008年より「日仏子供ヴィジョン」に名称変更)。2014年 箱根駅伝90回記念モニュメント「絆」(読売新聞東京本社・東京都千代田区大手町)をはじめ、全国40ヶ所以上に作品が設置、収蔵されている。

幼少期~彫刻家になるまでのこと

Vol.1では現在のお仕事について教えていただきましたが、今回は彫刻家になるまでのことを聞かせていただきたいと思います。幼少期の頃はどんなお子さんでしたか。

愛知県春日井市に生まれたんですが、子供の頃は本当にシャイで、保育園の最初2年間と、小学校の最初2年間は、一言も喋らないような子でした。家ではベラベラ喋ったんですけど、とにかく恥ずかしがり屋で。でも絵を描けば「光司くん、うまいね」って褒められていたのは覚えています。

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なんだか初めから作家気質ですよね。

いや、ただの人見知りです。小学校3年生になる時に学校区が変わったんですが、それがきっかけで喋るようになって、そこからは「恥ずかしがり屋でも喋る人」になりました(笑)。運動大好き少年で、小学校では体操部とサッカー部を兼部して、中学校ではバスケットボール部のキャプテン、高校ではバスケット一筋で、試合に出れば得点王でした。

「運動大好き少年」ですか? 「絵が大好き少年」ではなくて?

僕にとって絵は、描けばうまくできてしまうものだったので、上位を占めていなかったんです。どう言えばいいのかな......運動はやればやるほど、うまくなるから楽しかったんですけど、絵はやらなくてもできちゃったから。たとえば「1+1=2」って、当たり前ですよね。僕が絵を描いて「うまいね」って言われるのは、そんな感じ。うまく描けるのは当たり前のことすぎたから、一生懸命になれなかった。

でも高校卒業後は、美大(東京藝術大学)に進学されていますよね。何か転機でもあったのでしょうか。

転機っていうのかなあ......高校2年生の終わりに、進路を考えないといけなくなった時に考えたんですよ。「バスケットでは絶対食えないな。かといって体育の先生というのも違う」とか、「高校を卒業したあとは大学に行くんだろうな。でも普通大学は嫌だ」とか。

普通大学には行きたくないと思った理由を教えていただけますか。

象徴的な出来事があったんだけど、高校1年生の時に、なんとなく混んでいるけど車内を見渡せるというような、ラッシュ手前の時間帯に電車に乗っていたんです。その時、ふっと、車内が全員灰色に見えた。そこにいた人たち、サラリーマンのおじさん、OLがみんな疲れ切っていて、生気がなくて......すごい違和感があった。本当に、まだその時の画像を思い出せるんだけど、灰色で。その時、僕は「灰色のうちの一人になりたくない」って思ったの。若造で、生意気なガキだったと思うけど、「普通大学に行ったら、そのあとは普通の会社に勤めて、灰色の大人になっちゃうんだ、それは嫌だな」って思ったんですよ。

「普通大学以外」という基準で、美大に行かれようと思ったんですね。

そう。で、進路について考えているうちに「あ、そういえば、絵がうまいって褒められてきたじゃん」って思いついて。でもね、僕が行っていた高校は美術の授業自体がないようなところだったから、担任に「美大に行きたいんですが」と相談したら、「お前、アホか。何言ってるんだ」と言われて。でも、相談すると言いつつも、そっちに行くことは決めちゃってたから。美大の受験は難しいに決まっているんですけど、行きたい、という思いが強いので、どう言われても、気にしないというか。

ご両親の反応はいかがでしたか。

父は京都の出身で、ブロック職人(ブロック塀を積む庭師)だったんですが、父は画家になりたかったんですね。暇を見つけては絵を描いていたけれど、途中で諦めたという思いが残っていて......。それで僕が「美術をやりたい」と言ったので、喜んでくれましたよね。母も父が良しとするなら良しとする人なので、問題なく。親の反対がなかったのは、助かりましたよね。

ご両親の承諾を得てからは、どんなふうに受験勉強をしたんですか。

高校3年生の頃から、名古屋にあった美術系の予備校の夜間コースに通いました。でも、漠然と「美大に行こう」と思っていただけで、自分に何が合っているのか全然わからなかったから、「すみません、僕はどのコースに行けばいいですか」って相談するところから始めました。教官室に入ると、一番手前にヒマそうな先生がいたので、水彩画とデッサンを見せて。そうしたら、「君ね、油も向いていると思うけど、彫刻に向いている気がする」って言われたんです。

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その一言で進路を決められたんですか?

17歳の純朴な青年だったので、髭を生やした立派な先生に言われると、もう従うしかないっていうか。で、オチになるんだけど、授業の初日、彫刻コースの教室の扉をガラガラっと開けたら、その先生がいたわけです。

まさか?

はい、要は予備校の先生も生徒の取り合いなので、自分のコースを勧めていたんですね(笑)。と言ってもまあ予備校なので、後からいくらでもコースを変えられたと思うんですけど、いざやってみたら、合っていた。今はもう、あの時は、あの人にしか会えなかったような気がしています。宿命的な感じ。彫刻家として動き始めたら、そういう出会いがたくさんあります。本道をちゃんと進んでいる限り、自分にとって必要なものが必ず自分の前に現れてくれる。でも本道からそれたら、出会うべき人やものに会えなくなってしまうので、本道からそれないように進む。

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